昭和のゴミ捨て事情

昔話

 昭和30年代生まれの私です。そんな私が幼い頃、夕刻晩ご飯の買い物に出かける母親とよくでかけていました。今思えば、小さなカゴ一つだけで、夕刻買い物は充分だったのが不思議です。
 当時は、まとめ買いという習慣もなく、その日の晩ご飯の材料だけ買いに行くというスタイルでした。お肉は、お肉屋さんで、魚は魚屋さんで、野菜は八百屋の店頭で献立も決まっていたように思います。
 店頭で品物を頼めば、その場でさっと新聞紙(お肉は竹皮)で包まれ、マジックインキで値段が書かれていたのを覚えています。
 そのうち、大型スーパーマーケットが近所にできましたが、ビニール袋なるものはなく、紙製の袋に荷物を詰めてもらい、両手で抱えて帰ったものです。
 調味料(醤油、みりん、酒等)も、酒屋さんがやってきて、瓶に詰めてくれていました。新聞紙も、棒ばかりで重さを計ってトイレットペーパーに、交換してもらっていました。

 こうやって考えるとなのでほとんどの家庭ゴミは、生ゴミか紙屑程度だったとおもいます。
 今から思えば、とてもエコな時代でもありましたが、衛生的かどうかは疑問が残るところです。

 ゴミ捨ても、家の生ごみの入った桶を集積場の大きな桶に移しただけでしたから、非衛生的ではありました。
 新しい事務所のゴミ捨て場では、細かい分別をするように指示されておりその度にビニール袋に入れていては帰ってゴミの量が増えてしまいそう。

 ゴミの出ない包装、梱包、配送はありえないでしょうが、工夫はできないものかと思う今日この頃です。

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